「愛」「感謝」「許す」=生きる=A LIFE 

愛は「生きている証」。

 

感謝は「ありがとう」

ありがとうは「正直」。

 

「許す」は、生きてるから許しあえる。

俺は実家を許せなかったなー。。。

 

親父がハンドバックの職人さんで

朝から晩まで休むことなくハンドバックを作っていた。

職人なんで口も悪く、手も出る。

いつもラジオを聴きながら

常にタバコを吸っていた。

 

いつも家に父親が居るのが嫌でイヤでねー!

親父が居るから学校も滅多なコトでは休めない

厳しい人だった。

 

そんな感じの親父なんで

次男とぶつかり

しょっちゅうケンカをしていた。

 

次男は中学になるとヤンキーになり

暴走族に入り。。。

なんと、リーダーにまで昇り詰め

警察が毎週訪ねてくる、ぐらい有名人に!!

 

俺が小学校4年から6年になるまでの2年間は

家庭内暴力と暴走族

シンナーや数々の事件を起こし

真面目に戸塚ヨットスクールに入れようと

家にパンフレットがあった。

家族は本当に疲れ果てていた。

 

 

それからしばらくして

なんとなく次男も落ち着いてきて

家でも暴力無しに夕食が食べてるようになったら。

こんどは。。。

 

 

親父が51才で他界してしまい

生活が一変してしまうコトになった。

 

母はハンドバックを作るコトができなかった。

職人気質の親父は最後の行程であるハンドバックの仕上げは、

誰一人、部屋に入れるコトなく自分一人で仕上げたそうで。。。

母は作れないし

そもそも好きなコトじゃないので

自分の好きな料理を生かし

居酒屋を始める事になったんだ!

 

少しまともになった次男は湘南でフレンチのコックさんしていた。

 

そこで

次男と一緒に居酒屋の手伝いを始める事になったんだけど。。。

ここでも、揉めに揉めてねー

しょっちゅうケンカになるわけで。。

 

俺は高校生1年生からヨーカ堂でバイトして

終わったら居酒屋の手伝いをしながら夕食を食べて

帰って、学校の用意して、朝学校に行く。

そんな感じだった3年間。

オシャレしたい年頃だけど、焼き鳥を焼きながら

酔っぱらいの相手をしていた。

イヤだったけどねー

でも、「俺が母を支えないと」なんて

親父の分まで頑張っていた感じかな。

 

親父が他界して一年が経ったときに。。。

こんどは、次男の兄が他界した!

自ら命をたったんだ。

 

泣き崩れる母の横で

また

俺は

父親の分まで頑張り

母親を支えるコトが俺の「使命」だと思っていた。

 

 

「荒井」家を恨んだよ。。。

なんで俺なんだろ、、、

なんでこの家に、、、

小学校4年生までは普通の家だったのに

それからずーっと。。。楽しくなかったなー。

 

 

大人になって

サラリーマンで土日休み憧れ

サラリーマン生活をした。

母が凄く喜んでくれてね

スーツを着る子供は俺だけだったんで

それだけで親孝行した気分になったよ!

 

そんな母も10年前に他界してしまい

5人家族だったのに今は2人だけ!

長男は地元で塾の経営をしている。

 

 

そして4年前に

愛する我が子の「ユナ」が7才で他界。。。

 

自分を責めたし

「荒井」家を悔やんだよ。

 

なんで、

また俺かって。

 

 

子供の病気が発覚して5年間の病院生活と

他界してからの3年間。

自分と向き合ったねー

死ぬほど向き合った!

頭が割れるほど悩んだよ。

 

 

やっと辿り着いた言葉が。。

「許す」

許すから許される

許されるから許す。

心の底から過去を許して

受け入れると。

暖かく柔らかい大きな手で

頭を撫でられる感じがする。

 

滅多に褒めてくれなかった

親父が撫でる感じがすよ。

 

親が愛しあって、俺が生まれた。

小学校4年生まではたっぷりと愛を感じていたし

愛されていた。

それが全てだと思う。

 

 

自分と向き合い

腹の底から出てきた想いが。。。

 

 

「愛」・「感謝」・「許す」

 

 

 

 

「愛」「感謝」「許す」=生きる=A LIFE

 

A LIFEを表現するコトが俺の「使命 」だ!!

それが内なる想い。

 

やっと聞こえた自分の内なる声。

 

 

 

 

 

文仁。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逢うべき人に出逢えることを、人は幸せと呼びます。

逢うべき人に出逢えることを、人は死合わせと呼びます。

 

 

 

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